内藤 哲也 インスタ。 インスタで「#内藤哲也」と検索すると面白い投稿を見ることが出来る

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内藤 哲也 インスタ

幼少期からサッカー、野球に熱中。 00年9月より5年間、アニマル浜口ジムにて基礎を学ぶ。 04年2月に開催された「高田道場サブミッションレスリング大会」にて最優勝選手賞を獲得。 05年11月3日、後楽園ホールにて行なわれた新日本プロレス公開入門テストに合格し、12月に入門。 06年5月27日、草加市スポーツ健康都市記念体育館における宇和野貴史戦でデビュー。 10月29日、同じヤングライオンの平澤光秀を下し、デビュー約5ヶ月で初勝利を飾った。 07年6月、負傷欠場した邪道の代わりとして「BEST OF THE SUPER Jr. XIV」に出場。 外道、エル・サムライから大金星を挙げるなど、キャリア2年目ながら活躍した。 08年2月、裕次郎(現:高橋裕二郎)とNO LIMITを結成。 9月にはプロレスリング・ノアに殴り込み、金丸義信&鈴木鼓太郎の持つGHC Jr. ヘビー級王座に挑戦する。 10月13日、両国国技館にて稔&プリンス・デヴィット組を破り、第22代IWGP Jr. タッグ王者に就く。 12月7日、邪道&外道を相手に同王座の初防衛に成功するが、09年1月4日にモーターシティ・マシンガンズ(アレックス・シェリー&クリス・セイビン)に敗北し王座陥落。 その後、裕次郎と海外遠征に出発。 CMLLでルード(悪役)としてブレイクし、ヘビー級へ転向。 10年1月4日東京ドーム大会で、ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン、ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソンとの3WAYハードコアマッチ戦を制し、裕次郎と共にIWGPタッグ王者に輝いた。 同年3月、「NEW JAPAN CUP」に初出場。 1回戦でアンダーソン、2回戦で棚橋弘至を破り、ベスト4へ進出した。 同年5月3日福岡で、バーナード&アンダーソン、永田裕志&井上亘との3WAY戦に敗れ、IWGP王座から陥落。 以降、この2チームと三つ巴のベルト争奪戦を繰り広げるものの、王座返り咲きは果たせず。 11年5月26日の後楽園大会で、ついにパートナーの高橋裕二郎と仲間割れ。 短期のメキシコ遠征を経て、8月の『G1 CLIMAX XXI』で準優勝。 同年9月19日神戸で、高橋に初勝利。 同年10月10日、棚橋の持つIWGPヘビー級王座に初挑戦するも、惜敗。 2012年8月、『G1 CLIMAX 22』仙台大会で行なわれたルーシュ戦で右膝前十字靱帯を断裂。 以降のリーグ戦に強行出場するも、状態を悪化させてしまう。 そして、10月8日の両国大会で高橋裕二郎に膝を攻められ、長期欠場へ追い込まれた。 すぐさま右膝の手術へ踏み切り、苦しいリハビリも経験。 2013年6月22日の大阪大会で待望の復帰戦を迎え、高橋に勝利。 同年7月、田中将斗の持つNEVER無差別級王座に挑戦するも、完敗という結果に終わる。 しかし、同年8月に開催された『G1 CLIMAX 23』ではBブロックを1位通過。 決勝戦で棚橋を破り、悲願の初優勝を遂げる。 続いて9月29日の神戸大会で田中にリベンジし、NEVER無差別級王者&1月4日東京ドームIWGPヘビー級王座挑戦権利証保持者の二冠王に輝いた。 16年3月12日新青森県総合運動公園 マエダアリーナ大会『NEW JAPAN CUP 2016 〜優勝決定戦〜』で、後藤洋央紀を破り、初優勝を果たす。 4月10日両国大会・IWGPヘビー級選手権試合で、オカダ・カズチカを破り、第64代IWGPヘビー級王者となる。 5月3日福岡国際センター大会・IWGPヘビー級選手権試合で、石井智宏を破り、初防衛に成功するも、6月19日大阪城ホール大会・IWGPヘビー級選手権試合で、オカダ・カズチカに敗れ、防衛に失敗。 9月25日、神戸大会でエルガンの持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦し、30分を超える激闘を制し第15代王者となる。 11月5日、大阪大会でジェイ・リーサルの挑戦を受けるも、必殺技デスティーノでリーサルを沈めIWGPインターコンチネンタル王座を防衛を果たす。 17年1月4日東京ドーム大会で棚橋弘至と激突。 一進一退の攻防を制したのは内藤。 2度目のIWGPインターコンチネンタル王座を防衛。 2月11日大阪大会でマイケル・エルガン、4月29日大分・別府ビーコンプラザ大会でジュース・ロビンソンを破り連続防衛を果たすも、6月11日大阪城ホール大会で棚橋弘至に敗れ王座陥落。 しかし、8月13日、東京・両国国技館大会『G1 CLIMAX 27』優勝決定戦ではデスティーノでケニー・オメガを撃破し、4年ぶり2度目の優勝。 18年4月29日熊本グランメッセ大会で鈴木みのるに勝利し、第18代インターコンチネンタル王者となったが、6月9日『DOMINION 6. 9 in OSAKA-JO HALL』大阪城ホール大会でクリス・ジェリコに敗れ防衛はならなかった。 2019年1月4日『WRESTLE KINGDOM 13』東京ドーム大会で、ノーDQマッチでインターコンチネンタル王者・クリス・ジェリコと対戦。 ラフファイトを制し第20代王者となる。 2月3日『THE NEW BEGINNING』北海きたえーる大会でタイチに勝利し防衛。 4月7日『G1 SUPERCARD』アメリカ・マディソンスクエアガーデン大会で飯伏幸太に敗れ王座陥落するも、6月9日大阪城ホール大会で勝利し第22代王者となる。 9月22日『DESTRUCTION in KOBE』神戸ワールド記念ホール大会で、ジェイ・ホワイトとの防衛戦で敗れ王座陥落。 試合を観戦したい 下記よりこれから開催される予定の大会情報を確認できます。 各大会のチケット情報ページに記載されているプレイガイドからチケットを購入することができます。 公式ファンクラブ『Team NJPW』に入会すると、チケットの先行予約ができる特典もあります。 試合結果をみたい これまでに開催された試合の結果を確認できます。 試合の動画を観たい 新日本プロレス公式動画サイトNJPW WORLD(有料)にて新日本プロレスの主要大会を完全配信しております。 また、新日本プロレス45年分のアーカイブから試合映像を観ることができます。 選手に会いたい 選手の握手会や撮影会などのイベントの情報はこちらより確認できます。 ファンクラブに入会したい Team NJPW(新日本プロレスリングオフィシャルファンクラブ)では新規会員を募集中! Team NJPWの会員になると様々な特典がいっぱい! 詳しくは以下より確認できます。 スマホでもオフィシャルサイトを楽しみたい スマホサイトであれば最新NEWSから大会情報・大会結果がいつでもどこででも見れます。 毎日更新、選手自身が執筆した日記もスマホサイトで購読できます。 新日本プロレス公式プロレスゲーム『プロレスやろうぜ!』 新日本プロレス公式、スマホで遊べるプロレスゲーム! 自分だけの選手を育てて、新日本プロレスのレスラーと対戦しよう! トレーディングカードゲーム『キングオブプロレスリング』 新日本プロレスレスラーたちのカードを集めて、ネット対戦に挑め!! パソコン、スマホで遊べる新感覚トレーディングカードゲーム!.

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70歳のインスタグランマ、内藤朝美さんをつくる10のモノ・コト

内藤 哲也 インスタ

来歴 [ ] 少年時代 [ ] 学校は中学時代は東京都足立区立東島根中学校、高校時代はに通っていた。 父親の影響で小さい頃から自然とを見るようになり、学校の教室ではプロレスごっこで遊んでいたという。 放任主義的な家庭に育ったが「人との約束は守れ」ということだけはよく言われ、学校の宿題を怠った時に父から「宿題っていうのは先生との約束だろ? 」と叱られた。 しかしあくまで約束にうるさいだけで、勉強しろとは言われなかった。 内藤は小学1年から中学3年まで父がコーチを行っていたのチームに在籍し、内藤が小学5年生でキャプテンになる頃から内藤を手伝っていたが、周りから息子を依怙贔屓していると言われないように父はチームで練習している時には敢えてあまり指導しなかった。 幼稚園の年中から高校3年まではを経験。 中学時代は野球とサッカーを掛け持ちしながら両方ともキャプテンを務めていた。 プロレス初観戦は5歳の頃であり、幼稚園児の頃から1人で電車に乗れた内藤は、仕事帰りの父と会場の最寄駅で待ち合わせて、プロレス観戦に行ったという。 父はジッと見ているだけであったが、プロレスへの熱い思いは持っており、たまに「が活躍していた頃は…」というようなことを語っていた。 それと内藤に対して父はをさん付けで呼ぶように教えた。 プロレスファン歴が長い内藤だが、実際にプロレスファンというよりもファンであった。 父親から見せられていた団体が新日本だったこともあるが、その後いくつになっても新日本以外の団体に興味を持つことはなかったという。 プロレス初観戦も新日本だった内藤は、初めて自分でチケットを買って見に行った6月5日の大会にて、「これがお客さんの前でできてお金もらえるなんて、こんないいものはない」と思い、になることを決意した。 高校3年の夏に最後の大会を終えてサッカー部を引退した後、9月にに通い始める。 プロレスラー志望者のためのプロコースを選択してトレーニングを開始し、高校卒業後もアルバイトをしながらジムに通い続け、スパーリング技術を身につけていった。 「そろそろ新日本の入門テストを受けよう」と思い始めた矢先、にジムでのスパーリング中に右膝前十字靭帯断裂、全治9か月の重傷を負い、同年の入門テスト受験を断念する。 は負傷した膝のリハビリ中のため、はで肩を負傷のためと、3年連続で受験のチャンスを逃したが11月3日、にて行われた入門テストにようやく参加。 自分でも合格への手応えをハッキリ感じた内藤はテストに合格を果たし、12月1日に新日本に入寮した。 新日本プロレス [ ] 2006年 [ ] 野毛道場での練習を順調にこなした内藤は、入門から半年後の5月27日、大会にてのを相手にデビューを飾る。 入門テストでずば抜けた成績があったとはいえ、アマチュアで特に大きな実績があっての入団ではない一若手のデビューとしては、かなりのスピードだったが、試合はに敗れる。 試合後のバックステージでは「試合前はすごい緊張したけど、リングに上がったら緊張はなくなって、すごく居心地のいい場所でした」とコメントを残している。 後に内藤はデビュー戦について、試合内容は覚えていないが、スポットライトを浴びて自分がリングから四方を見渡す状況に快感を覚え、その気持ちよさが印象的だったと振り返っている。 デビュー当初より周囲から動きの良さやプロレスセンスを高く評価された内藤は、9月のシリーズにて「試練の5番勝負」が行われ、、、、、らとそれぞれシングルマッチで対戦(結果は5戦全敗)。 5番勝負での経験を生かした内藤はその後、10月29日の大会でからプロ初勝利を収めた。 2007年 [ ] 1月4日の大会にて、プロ初勝利を挙げた試合が主催の2006ベストバウト賞を受賞し、対戦相手の平澤と共に表彰。 試合に出場こそしなかったが、内藤にとっては初めてドームのリングに足を踏み入れた日となった。 6月1日、出場予定だった邪道の負傷欠場を受けて、に急遽エントリーし初出場を果たす。 同日の開幕戦で外道からで金星を挙げ、さらにリーグ戦ではからも勝利を収め、2勝をマークした。 10月8日のEXPLOSION'07では、の次期挑戦者を決めるに出場。 最後の二人まで生き残ったが、最後は金本に敗れた。 この頃より新日ジュニア戦線で徐々に頭角を現し始めるようになり、また同月20日の山口大会では6人タッグマッチながら、かつて大ファンであったとの初対決が実現した。 2008年 [ ] 2月、それまでタッグを組む機会の多かった(現:高橋裕二郎)と、 を結成し、それに伴いコスチュームも赤を基調としたショートタイツに変更した。 王座奪取とはならなかったがチームとしてジュニアの最前線で通用することを証明した。 NO LIMITとして新風を吹かす中、新日本が(現:ZERO1)との対抗戦を本格化させたことから、内藤も対抗戦に出陣し3月2日の後楽園大会でZERO1に参戦。 を初公開して敵地で勝利を収めた。 9月6日にはが主催する大会を高橋と共に観戦した。 ジュニアタッグ王者組としてにも初出場を果たし、12月7日の大会では組を相手にジュニアタッグ王座の初防衛に成功した。 12月22日後楽園大会では棚橋と初めてシングルマッチで対戦しに敗れる。 その後、2月15日両国大会でのジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けた4WAYタッグマッチを制し、マシンガンズを追って高橋と共にに参戦。 タイトル奪還を望み、現地でマシンガンズを相手に2度挑戦するも奪取には至らなかった。 スターダストプレスで勝利を収めると、対戦相手のを担架送りにしたことで現地のファンに衝撃を与えた。 さらに7月31日に行われたに出場。 最後にリング上で取り残されたトスカーノと一騎打ちとなり、で勝利する。 日本人としては以来30年ぶりの快挙となるでの髪切りマッチでの勝利を収めたことで、メキシコでの地位を確固たるものとした。 12月18日に高橋と共に凱旋。 翌年の東京ドーム大会にてへの挑戦が決定し、12月23日後楽園大会にて凱旋試合を前にリング上で挨拶した。 アンダーソンから勝利を収め、IWGPタッグ王座を奪取した。 3月に開催された(以下「NJC」)で2回戦で棚橋と二度目のシングルマッチを行った内藤は、棚橋の膝を破壊してスターダストプレスで棚橋から初勝利を収めた。 凱旋帰国後は本隊の一員として活動していたが、4月4日後楽園大会で高橋と共に へと寝返り、として活動を開始する。 5月3日、にて青義軍に同王座を明け渡したが、その後も同じ面子でイリミネーション式3WAYルールや巴戦のタイトルマッチで抗争を展開。 同年のG1タッグリーグではNO LIMITとして決勝進出を果たすも、青義軍に敗れて準優勝となった。 一方で、シングル戦線ではCHAOSに加入したことで棚橋と敵対関係になり、年内で4回もシングルマッチで対戦。 最終的に1勝2敗1分と負け越してしまった。 2011年 [ ] 前年で棚橋とのシングル4戦で個人としての実力を証明した内藤は、1月4日のにてを保持すると対戦したが、不本意な試合内容の末に敗れる。 2月にはとの抗争で敗れ、3月のNJCでは1回戦でに敗れてしまい、上半期はいまひとつ波に乗れずに苦しむこととなる。 タッグ戦線においては、5月3日のにて久々にNO LIMITとしてIWGPタッグ王座に挑戦するもピンフォール負けを喫し、試合後に高橋と不協和音が生じた。 そして同月26日後楽園大会の試合中にパートナーの高橋と田中に裏切られた内藤は、試合後に入ってきた邪道、外道にも袋叩きに遭いCHAOSから追放され、NO LIMITも解散となった。 行き場を失った内藤はなんとなく本隊に復帰し、6月18日、にて高橋とシングルマッチで報復を狙うも敗北。 その後、メキシコ遠征を経て8月のに2年連続で出場。 開幕戦でまたしても高橋に敗れ、3連敗スタートと躓くもなんとか巻き返し、最終リーグ戦で棚橋から勝利を収めるとAブロックを1位で通過。 決勝戦でと対戦したが敗北を喫して準優勝止まりに終わり、試合後に涙を浮かべながら退場した。 9月19日、神戸大会で未だにシングル戦において未勝利の高橋と対戦しスターダストプレスで初勝利を収めると、メインイベント終了後に棚橋の保持するに挑戦をアピール。 10月10日、にてIWGPヘビー級王座に初挑戦。 王座奪取とはならずも棚橋から健闘を讃えられ、試合後にはG1決勝戦に続き涙を流した。 内藤も執拗なまでに中邑に突っかかると、試合後にも中邑に襲い掛かって大乱闘となり遺恨が勃発。 12月4日、愛知大会で中邑とのシングルマッチが行われたがで敗れた。 2012年 [ ] 1月4日、のセミファイナルに登場し、内藤がファン時代に憧れた選手の一人であると対戦した。 しかし持ち味を発揮できず、最後は武藤のに敗れたが試合後のコメントで内藤は、「武藤がすごいのは幻想」と言い切り、今年の目標を「武藤ができた、棚橋もできた、29歳でのIWGPヘビー級ベルト(戴冠)」と掲げた。 2月12日、にて昨年より抗争を繰り広げた中邑からシングル初勝利を収めると、棚橋を打ち破りIWGPヘビー級王座に戴冠したの前に姿を現し同王座へ挑戦を表明。 3月4日後楽園大会で、内藤は新日本プロレス創立40周年記念興行と銘打たれた興行のメインイベントにてオカダと対戦したが、に敗れる。 その後も内藤は年頭に掲げた「20代でのIWGP王座戴冠」を目指すため、次期挑戦者の棚橋を差し置いてIWGP王者のオカダに喰らいかかり、挑戦権の強奪を企てるも未遂に終わった。 8月7日、大会にてG1公式リーグ戦の戦でを着地した際に古傷の右膝靭帯を痛めてしまい、試合に敗れた内藤は担架で運ばれた。 右膝を負傷してからも試合には出場し続けたが本調子には程遠く、10月8日、にて対戦した高橋に負けを喫すると、試合後に高橋から右膝を椅子で殴打され戦線離脱し長期欠場となった。 11月15日、にて自ら提唱したの初代王者決定トーナメントが開催され、欠場中の内藤はリング上からの挨拶だけで留まった。 2013年 [ ] 古傷である右膝前十字靭帯断裂の手術の影響で、上半期はほとんど表舞台に出ることもなくリハビリとトレーニングに費やす。 5月3日のにて久々に公の場に姿を現し、リング上から復帰戦決定の挨拶をした。 6月22日、にて因縁深い裕二郎を相手に復帰戦を行い、翼をイメージしたハーフマスクを着用して入場。 スターダストプレスで快勝を収めると、自ら提唱し創設されたNEVER無差別級王座を保持する田中将斗に対して「まずは、NEVER」と宣戦布告を行った。 この発言に対して田中は「(NEVERは)『まずは』で獲れるベルトなのか!? 」と内藤の表現方法に怒りを露わにし、7月20日の最終戦にてNEVER王座を賭けたタイトルマッチで対戦。 スライディングDに敗れ王座奪取とはならなかった。 8月には4年連続でG1に出場し、Bブロック1位で通過。 11日に決勝戦の舞台で棚橋と激突。 この試合に勝利すると悲願の初優勝を果たし、前年より制度化されたを獲得した。 G1優勝を経て9月29日、にて田中の保持するNEVER王座に再挑戦するとスターダストプレスで勝利を収めて同王座を奪取。 その後、では裕二郎を相手に初防衛に成功し、では前王者である田中のリマッチも退け、IWGPヘビー級王座を保持するオカダの前に姿を現し翌年東京ドーム大会での同王座への挑戦を改めて表明した。 11月11日、の記者会見にて、オカダvs内藤のIWGPヘビー級王座戦と、中邑vs棚橋の(以下「IC王座」)戦のどちらをドームのメインで見たいかファン投票が行われた結果敗れてしまい、ドーム大会メインイベントの座を逃した。 2014年 [ ] 前年のファン投票の結果、のダブルメインイベント第1試合に登場し、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。 実質セミファイナルに降格という屈辱の中30分超の熱戦の末、最後はオカダのレインメーカーに敗れた。 IWGP王座奪取に失敗した内藤はここから失速することとなり、2月11日、では観衆からを浴びせられる中、に敗れてNEVER王座も陥落。 3月15日のNJC1回戦で石井に雪辱を果たしてリマッチへの道を作り、4月6日ににて石井のNEVER王座に挑戦したが敗北した。 その後のビッグマッチではタイトル戦線に全く絡めず、目的意識を失いかけた中でG1に出場。 最終戦を待たずして予選落ちとなるものの、公式リーグ戦で今大会G1優勝者のオカダ、IWGPヘビー級王者のから勝利を収めたことで、下半期への闘いに向けて可能性を残すことに成功。 10月13日、にてIWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持するオカダと権利証を巡って対戦したが、敗れてしまいG1でのリベンジを許した。 その後はIWGP王座から陥落したAJと抗争を繰り広げ、翌年東京ドーム大会へのシングルマッチを迫った。 2015年 [ ] 前年から始まったAJとの抗争に終止符を打つため、にてAJとシングルマッチで対戦したが、に敗れてG1での雪辱を許した。 2月のではノーテーマの6人タッグマッチに出場したが、前年に引き続きブーイングの嵐に見舞われる事態に発展し、3月のNJCでも準決勝でに敗れベスト4に止まり精彩を欠いた。 5月23日、約4年ぶりにメキシコのCMLLに遠征。 ここでなにかを持ち帰らなかったら浮上の目はないと覚悟した内藤は、現地で親交のあるやらが立ち上げたユニット、 ( Los Ingobernables)に加入する。 6月26日に凱旋すると、入場時にロス・インゴベルナブレスの・を着用しながら入場するようになり、タッグマッチでは本隊勢と組みながらも連携を成立させず不穏な行動を起こし、試合もふてぶてしい表情を浮かべながら、のらりくらりとしたスタイルに変化していった。 7月に開幕したG1では予選落ちに終わるも、ロス・インゴベルナブレスの正装ともいえる黒のスーツと銀色マスクを着用し時間を掛けての入場や、試合では今までと違う間合いで対戦相手を翻弄するなどインパクトを残す。 その中でとの遺恨が生まれ、G1閉幕後も抗争が激化。 9月27日、にて柴田とシングルマッチで対戦し勝利を収めると、東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持する棚橋から次期挑戦者として指名を受けた。 これに対して内藤は「結局この会社は棚橋が言ったことが正しいんだろ?」と吐き捨てた上で棚橋の要求を受諾し、権利証に挑戦する大会にて「パレハ」(で「仲間」の意)の投入を予告した。 10月12日、にてIWGP王座挑戦権利書争奪戦として棚橋と対戦。 試合終盤にパレハとして引き連れてきたと共に棚橋を痛めつけたが、最後は棚橋のに敗れる。 のリーダー的存在として活動する内藤(左)。 11月、EVILとのタッグで(以下「WTL」)に出場し、Bブロックにエントリー。 2016年 [ ] 年頭より中邑、AJら主力選手が相次いで新日本プロレスからに移籍したことにより、ここ数年で固定化されていたトップ戦線の面子に変化を余儀なくされた頃、前年下半期よりL・I・Jを結成して勢いに乗る内藤はその間隙へ上手く入り込み、時流を味方につけることに成功する。 3月のNJCでは後藤を破り初優勝を飾ると、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦を表明、4月10日のにて試合中突如乱入したのアシストを受けてオカダから勝利を収め、4度目の挑戦にしてIWGP王座初戴冠を果たした。 ファン時代から憧れたベルトをついに自分のモノにしたが、「内藤哲也の存在はベルトの価値を超えてしまった」との解釈からベルトを腰に巻かず、それどころか宙高く放り投げる暴挙に出て、ベルトに対して何の感慨もないことを示した。 同日よりL・I・Jの新メンバーとしてSANADAを引き入れた内藤はオカダ率いるCHAOSと抗争を開始。 5月3日のにて石井の挑戦を退けて初防衛に成功すると、6月19日のにてオカダのリマッチを受けたが、レインメーカーに敗れ王座陥落。 しかし、戦前より挑発を続けてきた新日本のであるを会場に引っ張り出すことに成功させ、内藤は一躍新日本の中心に躍り出る格好となった。 その後も内藤の勢いは止まることなく、G1では最多メインを任されるようになった。 優勝こそ逃すものの公式リーグ戦でを保持するから勝利を収めたことで、G1最終戦の試合後にエルガンから「ナイトーにリスペクトを教えてやる」と次期挑戦者として指名を受ける。 内藤はIC王座に興味はないと断言した上で「ベルトから近寄ってきた」と挑戦を受諾し、9月25日、にてエルガンからIC王座を奪取。 11月5日のにてを破り初防衛に成功すると、直後に登場した棚橋がIC王座挑戦に名乗りを上げ、「最後の晴れ舞台に」と棚橋の要求を受諾した。 11月18日に開催されたWTLではパートナーとして本家インゴベルナブレスの一員であるルーシュを引き連れ、WTL最終戦の大会で海外武者修行から帰国したをL・I・Jに勧誘するなど常に注目を集めた年となり、試合内容のみならずオーナーまで標的とした制御不能な発言でファンから圧倒的な支持を集めたことが評価され、制定ので最優秀選手賞を受賞した。 2017年 [ ] L・I・J旋風を巻き起こし大ブレイクを果たした内藤は、のセミファイナルにて棚橋と対戦。 を決めてIC王座2度目の防衛に成功すると、名実ともに棚橋越えを果たした。 2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、マイケル・エルガンとのリターンマッチを受けた。 変形、正調とデスティーノを連続で決めてIC王座3度目の防衛に成功。 試合後にNEW JAPAN CUP挑戦を表明するが、出場は認められなかった。 4月4日、とのタッグでジュース・KUSHIDAに勝利した直後、IC王座次期挑戦者としてタイガーマスクWを逆指名。 しかし、これも実際に対戦が組まれることはなかった。 4月29日のレスリング豊の国2017大分大会にてジュース・ロビンソンに勝利し、IC王座4度目の防衛に成功。 試合後、棚橋からの挑戦を受け、6月11日大阪大会でのV5戦が決定した。 しかし、内藤は挑戦資格なしとしてこれを拒否している。 5月12日、新日本プロレスが新設を発表。 また、5月18日にはIC王座次期挑戦者の棚橋が米国遠征中に負傷し、シリーズ全戦欠場を発表。 内藤はこの二つに触れ、「王者としての要求は無視され、似た理念のベルトを新設される。 じゃあこのタイトルはもう必要ないじゃん」「ゴリ押しで挑戦を決めたらもう本番まで無理はしなくていいってこと?」と猛反発。 5月18日の後楽園ホール大会でベルトを鉄柱に叩きつける暴挙に出た。 この日はベルトが多少歪む程度で済んだものの、5月21日の沼津大会で再びベルトを鉄柱に叩きつけ、破損させてしまった。 6月11日、DOMINION大阪城ホール大会にてと対戦。 でギブアップ負けを喫し、王座防衛に失敗した。 試合後、「IWGPインターコンチネンタル王座、または無いかな。 」と、インターコンチネンタル王座戦線から身を引くともとれる発言を行った。 7月1日、G1 SPECIAL in USAにおける初代IWGP USヘビー級王座決定トーナメントの一回戦でと対戦。 垂直落下式ブレーンバスターで3カウントを奪われまさかの一回戦敗退を喫する。 7月17日〜8月11日のG1 CLIMAX 27 リーグ戦にAブロックで出場。 17開幕戦の飯伏戦で年間ベストバウト級の死闘を演じ勝利を収めるなど勝ち星を重ね、同率1位で並んでいた棚橋とのブロック最終戦にも勝利。 7勝2敗(14点)の成績で優勝決定戦進出を決めた。 8月13日、G1 CLIMAX 27 Bブロック1位のを撃破し、4年ぶり2度目の優勝を果たした。 直後ののコラムでは「それはつまりオカダがいて、棚橋がいてという状況下で優勝した内藤というニュースターが押しも押されぬトップグループ入りを果たしたということだよね」「やっぱりメキシコに行ったことは無駄じゃなかったと思う」と絶賛されている。 また「その場その場の雰囲気を読んで、ハプニングをインパクトに変える、それが新日本の手法じゃない。 4年前(のG1優勝時)は反応が鈍かったというのは読めてなかったんだろうね」と分析している。 8月14日、G1優勝決定戦一夜明け会見に出席。 IWGPヘビー級王座挑戦権利証の防衛戦について、「組まれるのであれば、俺は石井を指名しますよ。 」としながらも、「『俺にやらせろ』という選手がいるなら、ハッキリ口に出すべきですよ。 」と発言。 挑戦表明を拒まない姿勢を示した。 その後のDESTRUCTIONシリーズでは、「名指しされたからオレはそれに対して『やってやる』って言ってるんだよ。 」とする石井に対し、「石井がこの権利書を欲しいのか、欲しくないのか、そこが一番大事だからね。 」「オレが石井の名前を出したから石井は挑戦する?石井、オマエ…俺の言いなりか!」と挑発するなど、舌戦を繰り広げた。 10月9日、KING OF PRO-WRESTLING両国大会にて石井智宏に勝利し、挑戦権利証の防衛に成功する。 2018年 [ ] 新日本プロレス最大級のビッグイベント、12にて初めてのメインイベンターを務める。 これにより内藤の中学の頃の夢である『新日本プロレスの選手になる』『IWGPヘビー級王者になる』『東京ドームのメインイベントに立つ』という3つの夢を事実上達成した。 入場時には東京ドーム一体の大内藤コールで迎え入れられ、試合はオカダのレインメーカーの前に敗れたが、その後に新たな夢である『6大ドームツアー』をするという野望を打ち明けた。 1月23日、メンバーである、が行った興行「タカタイチマニア」にてタイチのプロレスラーデビュー15周年記念の相手として内藤哲也VSタイチが後楽園ホールにて行われた。 結果、30分近くにも及ぶ死闘の最中、内藤が勝利を収め、バックステージにてタイチを賞賛、ヘビー級転向へと薦めた。 2月2日、新日本プロレスとによる重大発表記者会見にて社長の、声優でプ女子の、そして内藤哲也の3人で行われた会見では木谷オーナーに地方大会の観戦を薦めた。 2月10日、YOSHI-HASHIとのスペシャルシングルマッチが組まれ、入場時にYOSHI-HASHIの襲撃に遭い、バタフライロック等で苦しめられるものの最後はデスティーノで破る。 その後、退場途中の花道にて背後からタイチの襲撃に遭った。 2月25日、日曜劇場の99. 9刑事専門弁護士にて本人役として登場。 そこでは同じユニット内の仲間であるBUSHIも登場した。 尚、メニュー名は頭文字を横に読んでいくと「ロスインごベルナぶれス」となる。 3月6日、新日本プロレス46周年旗揚げ記念日シリーズにてヘビー級に転向したタイチと対戦、序盤は場外にてタイチのステップキックからパワーボムを喰らうものの終盤はレフェリーをTAKAみちのくにぶつけた内藤はタイチの持つマイクスタンドを後頭部にお見舞い、粉砕し最後はデスティーノで勝利。 3月10日、ニュージャパンカップ1回戦にてと対決、自身のデスティーノを切り返され最後はザックの新技である、オリエンテーリング・ウィズ・ナパームデスによりギブアップ負けを喫した。 4月1日の両国大会にて試合後マイクパフォーマンスでIWGPインターコンチネンタル王者である鈴木みのるを挑発し挑戦表明。 4月29日の熊本大会にて同タイトル戦が決定。 4月27日広島大会にて、鈴木軍との抗争の中メンバー全員が入場ゲートでそろうと銀の仮面を被った男を連れて入場。 リングに上がるとリングアナウンサーに耳打ちをし広島東洋カープ背番号『58』の名を轟かせた。 試合は内藤が金丸からデスティーノで勝利、またもマイクパフォーマンスでみのるを挑発した。 バックステージでは、内藤がジェイ・ジャクソンを『俺とジャクソン、競技は違うかもしれない。 いる場所も離れてるかもしれない。 でも、我々は心でつながってるんでね。 彼もLOS INGOBERNABLES de JAPONの一員ですよ。 』と告げた。 4月29日の、レスリング火の国2018で、IWGPIC王者鈴木みのるに挑戦し、王座を手にした。 5月4日、レスリングどんたく福岡国際センター大会にて鈴木軍VSLOS INGOBERNABLES de JAPONの試合後に退場中の内藤に観客席からBUSHIのマスクを被った男から襲撃を遭う。 そして、その男は1月5日に内藤を襲撃したクリス・ジェリコでありコードブレイカー、凶器攻撃により流血。 後日の後楽園ホール大会にてクリス・ジェリコがビデオを通して内藤の保持するIC王座に挑戦表明するとそれを受諾。 6月9日、大阪城ホール大会にて同タイトル戦が組まれた。 6月9日大阪城ホール大会(DOMINION)にてクリス・ジェリコと対戦。 入場中からラフファイトに苦しめられ流血の上最後は急所蹴りからのコードブレイカーで敗れ王座陥落。 試合後、ダウンしている内藤にジェリコは自身のコスチュームにつけていたベルトを腕にまくとムチ攻撃。 そこへEVILが内藤を救出しジェリコをラリアットで蹴散らすと共に退場した。 7月10日 スポーツ雑誌Numberが4月11日から5月29日までの約1カ月半の間行った「Numberプロレス総選挙2018」で2017年に続き1位を獲得した。 8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』はBブロック予選を勝ち点12で1位となったが同点に飯伏、ケニー、ザックが並び、勝った相手の勝ち点の合計で一番勝る飯伏に決勝進出を譲る格好となった(いわゆるオポネント落ち)。 9月、熊本で行われたIWGPインターコンチネンタル選手権試合で内藤に敗れた鈴木みのるが内藤に標的を絞り、別府大会でノンタイトルのスペシャルシングルマッチが行われた。 試合中盤、鈴木の関節技に苦しみ、30分もの死闘となるが、最後はデスティーノを決め勝利する。 10月、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに新メンバーが加入することを発表。 9日の両国大会で同級生かつ内藤と同じくアニマル浜口ジム出身のが加入し、BUSHI、SANADAとのタッグでCHAOSと対戦する。 その後、ザック・セイバーJr.に痛めつけられているEVILを救出し、NEW JAPAN CUP 、 最終公式戦で負けたザックとシングルマッチを要求。 11月3日、大阪大会の第8試合でザック・セイバーJr.とのスペシャルシングルマッチが行われる。 この試合で新技 バレンティア(垂直落下式ノーザンライトボム)を初披露。 そのままデスティーノを決めG1のリベンジに成功する。 その次の試合でクリス・ジェリコに敗れたEVILを救出。 IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦をアピールし、レッスルキングダム13でタイトルマッチが決定。 2019年 [ ] 1月4日のWRESTLE KINGDOM13で行われた選手権試合ではと急遽ノーDQマッチで戦い、ラフファイトに苦しめられながらも最後は奪ったベルトをジェリコの顔面に叩き込んでからのデスティーノでフォール勝ち、王座に返り咲いた。 2月3日の札幌・で行われたとの選手権試合ではが入場中の内藤を襲撃。 内藤は首を痛め腕の痺れに耐えながら試合を行い、途中に飯塚が試合へ乱入してイス攻撃を仕掛けるもこれを退け、最終的に21分31秒にデスティーノでフォール勝ち。 試合後のマイクパフォーマンスで、タイチに一定の評価を与えつつ更なる奮起を促した。 3月10日、兵庫県尼崎市のベイコム総合体育館にて行われたニュージャパンカップ2019に出場。 1月4日のWRESTLE KINGDOM13から欠場していた飯伏幸太と対決したが、20分38秒カミゴェからの体固めで敗れ2018年に続き1回戦で姿を消した。 4月6日(現地時間)、G1 SUPERCARDにおいてをかけて飯伏幸太と対戦したが、20分53秒にカミゴェによってピンフォール負けを喫した。 4月20日 愛知県体育館で行われた選手権試合飯伏幸太対ザック・セイバーJrの試合後にリングへ上がり、初防衛に成功した飯伏幸太に対し「IWGPインターコンチネンタル王座、次の挑戦者、俺が立候補するよ」と挑戦を表明した。 5月4日 福岡国際センターで行われたレスリングどんたく2019で内藤が「6月9日大阪城ホールでIWGPインターコンチネンタル王座をかけて闘おうよ。 」と提案。 これをうけた飯伏からは「6月9日、大阪城ホールでやりましょう。 お願いしますよ。 決まりましたから。 やりましょう」と回答があり対決が決定した。 6月9日 大阪城ホールで行なわれたDOMINION6. 9においてをかけて飯伏幸太と対戦。 22分06秒デスティーノからの体固めにて勝利し第22代チャンピオンになった。 6月27日 スポーツ雑誌Numberが発表したプロレス総選挙 THE FINALで棚橋弘至に逆転を許し3年連続1位にはならなかった。 7月、G1 CLIMAX 29にBブロックでエントリー。 優勝候補に挙げられていたが、初戦で、2戦目でタイチに敗北。 開幕2連敗を喫してしまうが、3戦目で後藤洋央紀、4戦目で石井智宏から勝利。 2勝2敗に戻すが、に敗れ、3敗目を喫してしまう。 だが、そこから、、に勝利し、5勝3敗まで勝ち点を伸ばした。 8月11日、最終戦でと対戦。 勝てば優勝決定戦進出だったが、ブレードランナーを喰らってしまい。 優勝決定戦進出とはならなかった。 8月下旬、SUPER J-CUP決勝戦でBUSHIと組んで、ジェイ・ホワイト&組と対戦。 試合終了後、ジェイにブレードランナーでKOされ、自身が持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦表明をする。 そして31日のイギリス大会でSANADAと組み、ジェイ・ホワイト、組と対戦。 試合終了後、またしてもジェイに急襲されるも、延髄蹴りからのデスティーノで仕返しに成功。 9月、IWGPインターコンチネンタル王座次期挑戦者にジェイ・ホワイトが決定。 シリーズを通して抗争が始まり、22日の神戸大会でタイトルマッチが決定。 そして当日、王座を懸け対戦。 内藤は最終局面でバレンティアを出そうとするも、ジェイが着地しそのままブレードランナーを喰らってしまい、29分47秒で決着。 ジェイが勝利し、内藤は王座から陥落してしまう。 11月、大阪大会にてタイチとの5度目のシングルマッチが決定。 掟破りのブラックメフィストからのデスティーノで勝利。 G1の借りを返すことに成功。 その後、IWGPインターコンチネンタル王座を防衛したジェイ・ホワイトの前に現れ、同王座に挑戦。 これにより東京ドーム2連戦初日の1月4日にジェイとのタイトルマッチが決定した。 2020年 [ ] 1月4日、東京ドームで行われたの1日目に、を破りに返り咲く。 続く1月5日の2日目、前日を下してを防衛したとの二冠戦において、終盤にレインメーカーをカウンター式デスティーノで返してから、2年ぶりにスターダスト・プレスを繰り出す。 その後バレンティアからの正調デスティーノを決め勝利。 を初防衛し、並びにを奪取。 前々から発言していた、史上初のIWGP二冠を達成した。 しかしその後、同じように前々から発言していた「東京ドームでの大合唱」をする直前、が乱入。 Go 2 sleepを喰らいKOされ、大合唱は阻止された。 2月9日にダブルタイトルマッチという形で、1月5日に乱入してきたKENTAと大阪城ホールで防衛戦を行った。 だらだらと時間を稼がれたり、ジェイ・ホワイトの介入などもあったが、高橋ヒロムがジェイを排除し窮地を免れる。 go2sleepを切り返してのデスティーノで流れを掴むも、金具が剥き出しのコーナーに振られて額から流血。 顔面を血染めにしながらも最後はバレンティアからのデスティーノでKENTAを葬り、二冠を防衛した。 試合後は締めのマイクで旗揚げ記念興行で愛弟子・ヒロムとのシングルマッチでの対戦を誓った。 しかし、新型コロナウイルス禍で旗揚げ記念大会を含む興行が中止となり、3月4日に本来3日の旗揚げ記念大会で対戦するはずだったヒロムとトークショーを行った。 得意技 [ ] 加入後はルチャの動きを取り入れた柔軟でしなやかな動きと浮き上がるような飛び技、のらりくらりと立ち回りながら仕掛ける際には一気に仕掛ける緩急のつけ方の上手さに加え、相手の技を受け切ってその持ち味を引き出した上で一気に切り返して攻勢に回りフィニッシュ・ホールドに持っていく試合展開を得意とする。 また、結成後はダウンしている相手の頭を踏みつける、ロープワークを繰り返した後で寝転がりインゴベルナブレスポーズを行い余裕綽々な振る舞いを見せるなどの挑発やマスク剥ぎやサミング、相手の持ち込んだ凶器を利用するなどの反則攻撃も敢行する。 フィニッシュ・ホールド [ ] を放つ内藤。 内藤が2015年5月の遠征中、現地の公園で子供がしている姿を見て閃いて開発したとされる現在のフィニッシャー。 背後から相手の右脇に自らの左腕を差し込んで首をロックし、相手の体を支点に逆上がりの体勢で回転しながらの体勢で相手の後頭部をマットに叩きつける。 同年公式リーグ戦における棚橋戦にて初公開されたが、その時は最後まで自分の体が回転しきらず、の雷切とほぼ同型の形で披露された。 以後、スターダストプレスに変わる内藤の代名詞的な技として昇華していき、同技でを獲得するに至っている。 派生技としての体勢で担ぎ上げられた状態から相手の首に腕を巻きつけて、リバースDDTの形で相手をマットに打ち付ける変形式デスティーノが存在する。 2017年1月のIWGP IC王座タイトルマッチの棚橋戦ではコーナーポストに登りながらセカンドロープを踏み台にリング中央へ飛び込むようにジャンプしながら放つスイング式デスティーノ、2017年8月のG1決勝戦ケニー・オメガ戦では片翼の天使からの切り返しとしてスイング式デスティーノを相手を支点として自身の体を180度旋回させる旋回式にて披露している。 技名はで「 運命」の意。 コリエンド式デスティーノ 相手の後方から走り込んで右腕を軸に逆上がりをしながらリバースDDTでマットに叩きつけるコリエンド(スペイン語でランニング)式の変型デスティーノ。 この技から正調式デスティーノへと繋ぐのが内藤の必勝パターン。 グロリア 変型のリストクラッチ式サイドバスター。 相手の左腕をで極めながら右手で掴み取り、左腕で相手の首を抱え込みながら持ち上げ、垂直落下気味に後頭部をマットに叩きつける。 かつてはこの技で繋いだ後にスターダストプレスを繰り出すのが必勝パターンであり、L・I・J結成後も大一番で使用している。 内藤はこの技を開発するにあたって、のを参考にしたと語っており、技名については自身がファンであるの楽曲「」からとっており、「IWGP王座奪取のために考案した技でもあるからぴったりだった」と回答している。 技名はスペイン語で「 栄光」の意。 バレンティア 変形ののような形で落とす垂直落下式の。 2018年4月29日戦で初披露され、同年11月3日のとのスペシャルシングルマッチではフィニッシュのデスティーノへの布石として使われた。 この技を開発したきっかけについては本人曰く「WRESTLE KINGDOM12のメインイベント・IWGPヘビー級王座戦での敗北後、何が足りないか色々考えた末に生まれた」とのこと。 技名はスペイン語で「 勇気」の意。 トップコーナーに登り、相手に背を向けた状態でジャンプしながら体を左方向180度捻った後、270度前方回転し更に180度左方向に錐揉み回転させる難易度の高いプレス技。 道場で飛び技を考えていた時、練習に来ていたに提案されてできた技。 元々はが開発した技で、その後、ライガーを含め長らく使い手がいなかった空中殺法とされていた。 同技で高西からピンフォール勝ちを収め、以降フィニッシャーとして使用し始めた。 場外の相手に向かって放つ、 スターダスト・アタックも存在していたが、こちらは短期間で使用を控えている。 デスティーノ開発以降は長らく封印されていたが、2017年8月13日G1決勝戦ケニー・オメガ戦にてロス・インゴベルナブレス入り以降初めて封印を解禁したが避けられ失敗に終わっており、2018年1. 4東京ドーム大会のメインであるIWGPヘビー級王座戦でオカダ戦でも繰り出したがこれも失敗に終わっている。 2020年1月5日のメインであるIWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタルダブル選手権試合でオカダを相手に繰り出し、見事成功した。 打撃技 [ ] 打撃合戦の際などに使用する最も基本的な打撃技。 振り抜き式を多用。 若手時代のフィニッシャーで、現在もチェンジ・オブ・ペースとして使い続ける技の一つ。 相手の近くに寄りながら当てるのではなく、ロープのリバウンドを利用しながら高くジャンプして体ごと相手にぶつかっていく型を得意としており、リング中央近くまで飛んで行く跳躍力を見せる。 のに近いフォームが特徴で、2006年のに参戦していたが使っていた技からインスパイアされている。 主に打撃合戦の際、不意に振りぬきながら放つ。 L・I・J結成後からは相手の頭を叩く挑発行為としても用いられている。 の攻防から、走ってくる相手に対して繰り出すカウンター式を主に使用する。 最近 [ ]では花道を走って場外の相手に繰り出す ショットガン・ドロップキックや脚を揃えず片足で蹴り込むタイプも使用している。 内藤が頻繁に使用する打撃技のひとつ。 L・I・J結成後はタッグパートナーとの連携から決めることが多い。 前転しながら振り上げた踵を相手の頭部を目掛けて当てにいく蹴り技。 ペースチェンジに多用される。 相手に片足を取らせ、掴まれた足を軸にしながら片方の足で相手の頭部を蹴っていくキャッチ式を得意とする。 水面蹴り 2011年メキシコ遠征で習得して来た技のひとつで、コーナーへ振られた際に跳び上がってエプロンに着地し、追いかけて来た相手に対して繰り出す。 ここからコーナーポストに跨ぎながらミサイルキックへ繋ぐことが多い。 現在は全く使用されない。 急所攻撃 主にタイトルマッチの前哨戦で行われる反則技。 基本的に相手の片方の足を持つか、ポップアップして相手の急所を蹴る形が多い。 投げ技 [ ] 加入後に使用され始めた技のひとつで、主にタッグパートナーとの連携やチェンジオブペースとしてよく使われる。 通常の、エプロンサイドで仕掛けるの2種類を使用する。 ジャンピング・ 立っている相手の首を捕らえてジャンピング・相手の頭部からマットに打ち込む技。 主に、カウンターで使用する。 トップロープを蹴り上げてから繰り出す型を主に使用している。 タッグマッチでは対戦相手を踏み台に旋回しながら放っていく型も見られる。 のオリジナル技。 の体勢で相手の体を担いでから首をフックしたまま相手を足から着地させ、に移行する技。 主に デスティーノへの繋ぎとして使用され、内藤の場合は相手の足が着地したのとほぼ同時に繰り出していくのが特徴。 相手と背中合わせの状態で放つタイプのものを使用する。 カウンターで相手のを掻い潜って放つ型、雪崩式、串刺し攻撃を狙ったところを相手がで迎撃しようとした際に両足を捉えて、セカンドロープに投げ入れてから仕掛けるパターンも得意とする。 しなやかなブリッジで相手の体をマットに突き刺すように高角度で放っていき、主に大一番で使用される。 上記のドラゴン・スープレックス同様、ハイブリッジで決めるのが特徴で、ジュニア時代から得意としている。 変型 のクラッチから片膝を立てながらしゃがみ込み、相手の背中や頭部を膝に叩きつける。 その後、座り込んだ相手に対し、ロープリバウンドを利用して背後から低空ドロップキックを見舞うのが内藤の定番ムーヴ。 2013年下半期の頃より使用。 主に相手の攻撃に合わせるように組みついてから投げるカウンター式を得意としている。 下記プルマ・ブランカへの繋ぎ技として使用。 相手の攻撃に合わせる形で放たれるカウンター式を得意としている。 現在ほとんど使われていない。 リバース・デスバレーボム。 2011年のG1決勝戦にて初披露されたが、技自体が綺麗に決まることが少なかったため、現在では全く使用されない。 技名はスペイン語で「 進化」の意。 かなりの頻度で使用していた技だが、L・I・J結成後から使用されなくなった。 旋回式 内藤の場合は自分からかけるのではなく、相手に持ち上げられた時のカウンターとして使用する。 滅多に使用しないが、ごく稀に場外の机や花道、エプロンで使用する。 内藤が使用する数少ない雪崩式の技。 主にビッグマッチを中心に使用される。 ビッグマッチ又はタイトル戦で出す技。 絞め・関節技 [ ] プルマ・ブランカ。 うつ伏せとなった相手をの体勢で組み付き、自らの左足を相手の首に引っかけ、相手の右腕を抱え込みながら頸部を締め上げる。 度のG1に向けて開発した秘策とされているが内藤が新技「プルマ・ブランカ」公開、前年の2012年度G1公式戦における戦でそれらしき技を披露しているカードファイト!! ヴァンガード PRESENTS NJPW 40th anniversary Tour G1 CLIMAX 22 ~The One And Only~ — 東京・後楽園ホール — 第5試合。 披露当初は、の体勢で相手に飛びついて巻き投げ、相手の体をうつ伏せに寝転がして極める型を使用していた、頃より上記から一連の流れで極める型を多用するようになっている。 L・I・J結成以後は、首に引っかけた左足をより頸部に食い込ませるよう、相手の体を仰向けにさせて極める型を使用している。 技名はスペイン語で「 白い翼」の意。 トランキーロ・レッグロック 変形の膝固め。 ジュニア時代から使用される足への。 ショート・レッグ・シザースとも呼ばれる技で、多くの膝攻めのレパートリーの中でも頻繁に使用される。 グラウンド状態で相手の片方の足を「く」の字にしてから、相手の膝と足首のあたりを片足ではさみ、曲がった片足の間に自分の足を通して固めて両足を4の字に組み、自分のいる方向に体重をかけて右足で体重を乗せて相手の膝関節に極める技。 インゴベルナブレス加入後から使用された技。 通常の型と違って、右足一本で相手の足を4の字に固めながら、空いている左足を4の字に折り曲げた相手の右膝に引っ掛けて、相手の膝を痛めつける。 相手がロープブレイクした際には自分から技を解こうとせず、に技の解除を求めるシーンが見られる。 うつ伏せの相手の両足を交差させ、自分の片足を掛けた状態から後方に倒れ込み、両足にダメージを与える技。 ここから鎌固めに移行することもある。 飛び技 [ ] ロープの反動を利用して放つ。 非常にフォームが綺麗で、ポストを利用しないセントーン・アトミコに近い。 コーナーミサイル コーナーにもたれ掛かる相手を片足で蹴り上げながらエプロンサイドに着地し、相手の足を払って尻餅をつかせた後、サードロープを踏み台にジャンプした反動を利用して、座っている相手に串刺しを放つ。 2013年に右膝前十字靭帯断裂の怪我から復帰した時期より使用しており、内藤のオリジナルムーブとして認知されている。 最近 [ ]では、ドロップキックを打つ時に1度着地し、相手が油断した隙にその場で放つことがある。 ポストは跨がず片側のトップロープに両足を乗せ、一旦静止する武藤スタイルを使用している。 フォール技 [ ] ポルボ・デ・エストレージャ 2011年メキシコ遠征帰国後から使用し始めたリストクラッチ式のグラウンド・コブラツイスト・ホールド。 上述のグロリアの体勢で相手を捕らえた後、持ち上げずに後方に倒れ込みながらピンフォールを奪う。 技名はスペイン語で「 星屑」の意。 走り込みながら仰向けに倒れている相手の手前で前転し、両足を抱え込みながら丸め込む。 内藤の場合は、着地の際にブリッジせず相手に覆い被さる型を使用しており、タッグマッチにおいてはパートナーが相手をで倒した後に素早く決める場合が多い。 いわゆると呼ばれる丸め込み技で、ヘビー級選手でコンスタントに使用するのは珍しい技のひとつ。 丸め込みは他にもやも得意としている。 合体技 [ ] (左)、(右)を手にする内藤• : 2回(第64・70代) 第70代は第24代IWGP IC王座との2冠。 : 5回(第15・18・20・22・24代)• : 1回(第2代)• : 1回(第55代) パートナーは高橋裕二郎。 : 1回(第22代) パートナーは(現:高橋裕二郎)。 優勝 : 2回(2013年、2017年)• 優勝 : 1回(2016年)• 2016年度プロレス大賞 最優秀選手賞• 2017年度プロレス大賞 最優秀選手賞• 2018年度プロレス大賞 技能賞 テレビ朝日ビッグスポーツ賞• 第52回テレビ朝日ビッグスポーツ賞ワールドプロレスリング賞 入場テーマ曲 [ ] 曲名 作曲者 備考 デビュー当時に使用。 [CD:MHCP-930] Jumping High 北村陽之介 2007年4月 - 2008年2月まで使用。 NO LIMIT結成後は勝利テーマ曲として使用。 [未CD化] No Limit 2008年3月 - 2009年4月まで使用。 下記「Du Hast」に入場曲を変更して以降、勝利テーマ曲として使用。 [CD:PHCR-1910] Du Hast 参戦時に使用。 2009年5月 - 2011年7月まで使用。 [CD:POCP-7299] STARDUST 2011年8月 - 現在まで使用。 [CD:KICS-1854〜6] 決め台詞 [ ]• トランキーロ、焦んなよ! 2015年のメキシコ遠征から帰国して以降、多用している台詞。 あまりの人気が伸び悩んだため、ラ・ソンブラの人気に便乗しようと使用を始めた。 トランキーロ( Tranquilo)はで「静かに、落ち着け」などの意味する言葉。 すなわちその後に続く「焦んなよ」と同義。 但しこれにが異常なまでの拒絶反応を示し、「レッスル・キングダム2018」前哨戦において、内藤が発し始めた際花道から猛ダッシュでリングに戻り完了させずに遮るほど。 ノスオトロス・ロス・インゴベルナブレス・デ!! スペイン語で「俺たちはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンだ!! 」の意味で、締めの言葉で使用される台詞。 L・I・Jメンバーの名前を挙げていき、最後に自分の名前を言って前置きしつつ、「デ!! 」の部分で観衆と共に大合唱する。 会場によってはメンバー紹介から合唱が始まる場合がある。 マイクの最初に放つ言葉。 相手を侮辱・挑発する意味合いでバックステージコメントやマイクアピールなどで使われる。 一歩踏み出す勇気 2018年10月2日上に公開されたロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン6人目のメンバーを示唆する動画より使われ始めた台詞。 これ以降マイクパフォーマンスやバックステージコメントなどで頻繁に使われるようになる。 また、この台詞が使われた後に同年4月29日から使用している変型ノーザンライトボムにスペイン語で勇気を意味するバレンティアという名前がつけられた。 決めポーズ [ ]• Abre los ojosポーズ 読みは「 アブレ・ロス・オホス」。 親指と人差し指を使いながら目を見開く。 スペイン語で「目を開け」の意。 2009年のメキシコ遠征中、「は目が細い」という固定観念がある現地のファンから「オマエら、目開いてんのか!? 」とが飛んできたことを逆手にとり、「俺の目は開いてるぞ」という意味合いで目を広げて対抗したのがポーズのキッカケ。 2010年に凱旋してからは最初の短期間のみ使用されていたが、会場で観戦する子供たちが真似していたことから、日本でも継続して使用するようになった。 2015年にロス・インゴベルナブレスに加入してから凱旋して以降は、インゴベルナブレスポーズ(右手で胸を2回叩いて拳を天に突き上げる)と合わせたものに進化を遂げている。 人物 [ ] プロレスファン [ ] 幼少期の頃から熱心な新日本プロレスファンであり、当時の新日本ファンクラブ「闘魂戦士」にも入会していた。 高校時代は部活終わりにそのまま観戦に出かけたり、都内だけでなく地方に遠征までするようになった。 選手になった今も「一選手である前に一ファンでありたい」という気持ちでファンクラブに入会しているという異色の選手である。 武藤敬司について [ ] 内藤は筋金入りのファンであったと公言している。 オレンジタイツ時代からのファンであり、武藤ファンとしてプロレスごっこの際にできるだけ完璧に武藤の真似をしたいがために、ビデオに録画していた武藤の試合を終始スローで見て研究し動きをマスターしようとしていた。 高校時代はプロレスラーになるにはどうしたらいいのか考え、憧れの武藤が学生時代にを経験していたことから、それに倣おうとしたこともある (最終的に内藤は柔道部に入らず、サッカー部に入部している)。 幼少期のプロレスごっこの影響のためか、プロレスラーとなった自身の試合の中で、何気ない動きのどこかに武藤の名残が感じられると言われており 、解説者のは「オレンジタイツ時代の武藤そのもの」と肯定的な見解を述べている。 しかし、2012年1月4日東京ドーム大会にて武藤と対戦が決まった際の記者会見では、武藤に対して「過去の人間」と位置付けた上で「プロレスを好きになったキッカケ」「プロレスラーになりたいと思ったキッカケ」とあくまでファンであったことは過去の話であると言い切っている。 棚橋弘至について [ ] 地方に遠征してまで観戦するほどプロレス熱が高い内藤だが、格闘技の聖地と言われるでの観戦は意外にも遅く、10月10日。 それまでビッグマッチしか行ったことがなく、若手の試合を見るのが初めてだった内藤は、そこでのデビュー戦を目の当たりにする。 それまで武藤ファンであった内藤は棚橋のデビュー戦を見て感銘を受け、棚橋がデビューした翌は武藤がアメリカ長期遠征へ出てしまったこともあり、内藤はその年以後棚橋を楽しみに観戦するようになり始め大ファンとなった。 2002年に内藤が右膝前十字靭帯断裂の怪我を負って気持ちが沈んでいた頃、2003年4月23日ににて開催されたの決勝戦、棚橋 vs 戦を生観戦し、その際に「プロレスに勇気をもらう」「元気をもらう」ということを初めて感じた日だと述べている。 内藤がプロレスラーとしてデビューして間もなくの頃、棚橋から「 早く俺のとこまでこいよ」と言われたこともあり、内藤自身もかつてファンだった武藤が全日本に移籍して何を楽しみに新日本を見に行っていいか分からないときに、棚橋がいたからこそプロレス熱が冷めることなくずっと来れたから、棚橋をトップの座から引きずりおろす役目は自分が担いたいと語っている。 2017年1月4日、レッスルキングダム11にて棚橋との一騎打ちを制し、試合でも棚橋を上回る声援が送られ、世代交代を印象付けた内藤は試合後、リング上で大の字に横たわる棚橋の胸に拳を突き立てた後に深々と一礼。 さらにバックステージでのコメントではかつて見上げる存在だった棚橋に対して「 早く俺のところまで戻ってこいよ」と、メッセージを送っている。 広島東洋カープとの関わり [ ] プロレス界きっての・ファンを自称している。 かつて合宿所に住んでいた頃、部屋には広島のグッズが所狭しと飾られており、内藤がロス・インゴベルナブレス加入以前に着用していた赤と白を基調としたコスチュームも「カープカラー」をイメージしたものとされている。 少年時代はに所属していたのファンだったが、1995年に原が現役引退したことより内藤曰く「ポッカリ穴が開いた」状態で野球への楽しみ方を模索していたところ、広島の足を使う野球に魅了され1996年から応援を始めた。 内藤は現在もファンクラブに入会している他、シリーズの合間を縫っては観戦に訪れており、の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもライトスタンドから観戦していた。 レスラー引退後には広島移住も視野に入れており、「の年間シートを購入して、毎試合観戦してみたい」と将来に対する展望について語っている。 球団歌『』の2017年、2018年、2019年バージョンの映像に、自身が注目している選手・の2016年からの背番号「 2」が入ったユニフォーム 2017年版・ビジター用、2018年版・ホーム用)を着用して歌唱参加している。 また、2017年8月27日のマツダスタジアムでの戦において初の始球式を行った。 結果はストライクゾーンから大きく外れてしまったものの、元野球少年らしい見事なフォームでの投球だった。 因みにこの試合で広島は敗れたものの、勝利投手となったのは内藤のファンを公言している である。 2018年よりカープの応援歌に内藤の入場曲の一節が取り入れられている。 メキシコとの関わり [ ] 内藤はロス・インゴベルナブレスを日本に持ち帰り、制御不能と化したのキッカケにブレイクした自身のプロレス人生において、メキシコという国は欠かせないものとなっている。 2009年5月に初めてメキシコに遠征した内藤は、元々異国の地がさほど好きではない上にイメージ的にも最悪な印象しか持たなかったことから、当初は「行くのが嫌でしょうがなかった」と振り返っており、試合と練習以外のときはほとんど出歩くことをしなかったという。 しばらくして内藤はアニマル浜口ジム時代から付き合いのあるとメキシコで再会すると、BUSHIに連れられる形で外出するようになる。 そこから徐々にメキシコに対する意識が変わり始め、メキシコでの生活を楽しめるようになったとのこと。 現地においても、内藤は大会のビッグマッチにおけるで、メキシコ人レスラーから勝利するという30年ぶりの快挙を成し遂げたことからポジションを確立している。 街を出歩けば声を掛けられることも多くなり、一気に知名度を上げることに成功した内藤は、公私ともに充実した日々を送るようになった。 制御不能と化した後、スペイン語を織り交ぜた独特なコメントが目立つ内藤であるが、これは内藤が2015年にインゴベルナブレスに加入し、帰国したときのコメントでポロっとスペイン語を出したことがキッカケとなっている。 直すのが面倒くさいと考えた内藤は以降スペイン語を混ぜてコメントするようになり、後に「日本に居るのに間違ってスペイン語が出てしまうぐらい充実してた」と内藤は述べている。 会場マニア [ ] 会場マニアという一面があり、体育館だけでなく野球場やサッカー場といった箱に興味がある内藤は、プロレスラーとなった現在自身のブログやツイッターなどで開場前の会場写真をアップする習慣が定着しつつある。 特に「建物の外観」と「体育館の名称が書いてある看板」を撮影したいと思っているが、会場に集まるファンの中で外観を撮影することができないため、会場の中の写真や場内のさまざまな場所を散策することが趣味となっている。 その他 [ ]• 中学時代は、当時サッカーの強豪校だったへのサッカー留学を考えていた。 2011年6月から2015年5月までとして活動していた内藤は、地域によってを受けることがある。 特に大阪大会で行われるビッグマッチでは、内藤が攻勢をかけたり、アピールを行うと強烈なブーイングが発生するようになり、この現象は2014年頃から顕著に見られるようになった。 ロス・インゴベルナブレス加入以降、内藤へのブーイングは全国各地で発生するようになったが、2015年下期頃になると徐々に内藤を支持する声が徐々に増え始め、2016年に入ると内藤およびL・I・Jに対する支持者が急増していった。 、、岡本記者らと共に昭和57年会を結成している。 メンバーには、、、らがいる。 ゴルフがあまり好きではなく、父はブリヂストンを定年退職する際にゴルフセットをくれたが、2017年の時点では1回打ちっぱなしに行った程度である。 父は会社員時代に営業トークとしてしばしばプロレスラーの内藤の話題を持ち出していた。 定期的にファミレスへ東京スポーツ記者を呼びつけて不満をぶちまけている。 そして相手に支払いさせ自らは居なくなるという記事が定例化されつつある。 など内藤以外のL・I・Jのメンバーも同様の行動を行っていることがある。 シリーズの大ファンであることをブログなどで公言している。 出演 [ ] ドキュメンタリー [ ]• (2018年11月19日 ) TVドラマ [ ]• 第3話、第4話、第6話、第20話(2013年、)内藤哲也(本人)役• SEASON2第6話ゲスト 2018年、 内藤哲也 本人 役• ラジオ [ ]• のゆうラジRadio Soulに月一で出演。 ゆるラジ・ゆるテレで活動中。 ゲーム [ ]• 「」 2016年12月8日、 - JUSTIS六狂人・内藤哲也 役 映画 [ ]• (2018年9月、ショウゲート)- もんじゃ屋の客 役 著書 [ ]• 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 1』(2018年7月15日、)• 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 2』(2019年6月16日、イースト・プレス)• 『手のひら返しdeあっせんなよ 内藤哲也のホンネ録』(2019年12月11日 ベースボール・マガジン社)ISBN:978-4-583-11259-6 C0075 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 新日本プロレス公式サイト. 2016年11月10日閲覧。 52-53. 、25-26頁。 、27頁。 、28頁。 、30頁。 新日本プロレス公式サイト. 2015年5月28日閲覧。 東スポWeb. 2015年9月30日閲覧。 東スポWeb. 2015年10月3日閲覧。 東スポWeb. 2015年10月13日閲覧。 新日本プロレス. 2015年11月9日閲覧。 日刊スポーツ : nikkansports. com. 2016年11月6日閲覧。 東スポWeb. 2016年12月14日閲覧。 東スポWeb. 2017年1月5日閲覧。 週刊プロレス2017年9月13日号p. 『週刊プロレス』NO. 1972 2018年9月4日増刊 p. 『週刊プロレス』NO. 1997 2019年2月20日号 pp. 4-9• 新日本プロレス公式サイト. 2011年12月10日閲覧。 、26-27頁。 、27-28頁。 デイリースポーツ online. 2017年1月5日閲覧。 日刊スポーツ : nikkansports. com. 2016年10月11日閲覧。 東スポWeb. 2016年9月18日閲覧。 東京スポーツ新聞社. 2017年8月28日閲覧。 東京スポーツ新聞社. 2017年3月15日閲覧。 『週刊プロレス』NO. 1996 2019年2月13日号 pp. 44-45• Gamer 2016年11月22日. 2016年12月15日閲覧。 日本語. com. 2018年7月6日閲覧。 参考文献 [ ]• 週刊プロレス編集部『内藤哲也 スポーツアルバム No. 58 』、2016年。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 Ameba オフィシャルブログ•

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内藤哲也「最初に国に助けを求めるのはかっこ悪い」 要望書にトランキーロ

内藤 哲也 インスタ

プライベートの内藤哲也 プロレスラーはリング上では自らのキャラを確立させているため、 プライベートではどんな人なのかが見えにくい面があります。 しかし、インスタで「#内藤哲也」と検索すると 内藤のプライベートが覗けます。 興味深い投稿をピックアップしてみました。 見てみましょう。 【ヒロムと遊園地でアトラクションを楽しむ動画】 内藤とヒロムが仲が良いのは、リング上で両者が戯れる様子から知っている方も多いでしょう。 この投稿では、リング外のプライベートでも仲がよい様子がうかがえます。 何だか微笑ましいですね。 【内藤とSANADAの珍しい2ショット】 続いては内藤とSANADAの2ショットです。 同じユニットに属していながら、ほとんど会話をすることがないという両雄。 プライベートでは一切関わりがないのかと思いましたが、 居酒屋と思わしき場所に一緒にいることがこの投稿から分かります。 同じユニットだけに、プライベートでも関わりがある事実が分かると何だか安心しますね。 珍しいリング上の表情 プロレスラはリング上では笑うことは少ないですが、 こと内藤においては笑うことはありません。 しかし、一回だけ 試合開始前に爆笑している時がありました。 インスタではその瞬間を写真に収めたものが投稿されています、 【珍しくリング上で爆笑する内藤】 僕はこのシーンを新日本プロレスワールドで見かけましたが BUSHIと会話しているんですよね。 BUSHIと何の会話をしているのかは不明ですが、思わず吹いてしまうような面白い話をしていたんでしょうね。 内藤哲也関連のオモシロ動画 内藤哲也関連のオモシロ動画もあります。 下記は内藤の必殺技「デスティーノ」を極める子供の動画です。 【ディスティーノを極める子供】 デスティーノのあとのフォールするところまで内藤哲也をマネを徹底しています。 この女の子は相当プロレス見てますね! 続いては、内藤がからあげクンの必殺技を考案している動画です。 【からあげクンと内藤哲也】 この動画は、からあげクンの新フレーバー発売に際して公開されたローソンと新日本プロレスのコラボ動画ですね。 終わりに インスタで「#内藤哲也」と検索をすると他にも面白い投稿を見ることが出来ます。 本記事ではその中のほんの一部を紹介してみました。 みなさんもぜひ「#内藤哲也」と検索して、楽しんでみてください。 【こちらの記事もよく読まれています】 -.

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