カイン の 刻印。 カインとアベル

「カインとアベル」、弟殺しカインの額の烙印が意味するものは

カイン の 刻印

創世記の記述 [ ] カインとアベルは、アダムとイヴがを追われた()後に生まれた兄弟である。 カインは農耕を行い、アベルは羊をするようになった。 ある日2人は各々の収穫物をに捧げる。 カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は無視した。 これを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。 その後、ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。 私は弟の監視者なのですか?」と答えた。 これが人間のついた最初のとしている。 しかし、大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えた。 カインはこの罪により、エデンの東にあるに追放されたという。 この時ヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。 また、追放された土地の者たちに殺されることを恐れたカインに対し、ヤハウェは彼を殺す者には七倍の復讐があることを伝え、カインには誰にも殺されないための ()をしたという。 カインは息子をもうけ、ノドの地で作った街にもエノクの名をつけた。 アベルの死後、ヤハウェは、アダムとイヴに、アベルの代わりとして、を授けた。 セトはアベルの生まれ変わりとも解釈される。 ヨベル書・エノク書での記述 [ ] およびエリトリア正教テフワド教会の聖典『』(他の教会ではとされる)によれば、カインは第2ヨベル第3年週にアダムの妻から長男として生まれた。 妻は同ヨベルの第5年週に生まれた妹のである。 同じくエチオピア正教等の聖典『』第22章には、冥界を訪れたエノクが大天使の案内で死者の魂の集められる洞窟を目撃した事が記されている。 それによると、アベルの霊はその時代になってもなお天に向かってカインを訴え続けており、カインの子孫が地上から絶える日まで叫び続けるという。 子孫 [ ] アベルの死を嘆くアダムとイヴ(画) カインの子孫であるは「青銅や鉄で道具を作る者」と『創世記』第4章に記されている。 また、トバルカインの異母兄弟であるは遊牧民、は演奏家の祖となった。 さらに彼らの父であるは戦士だったらしく「わたしは受ける傷のために人を殺し、受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。 カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍」と豪語している(『創世記』第4章22節)。 の『タンフマ・ベレシード』では、カインに付けられた印をと解釈し、盲目となったレメクが息子の補助を受けて狩りをしている時に、たまたま現れたカインを角の生えた動物と間違えて誤殺したと伝えている。 『創世記』内では前述のレメクの尊大な言い方がある程度で、カインの子孫は邪悪と明記している部位は特にないが、1世紀頃のユダヤ人たちからは「カインの子孫は悪徳や腐敗を重ねた連中達だった」とされ、このため大洪水で滅ぼされる対象になったのだとされた。 『』に登場する巨人はカインの末裔とされている。 後世への影響 [ ] 親の愛をめぐって生じた兄弟間の心の葛藤等を指すは、この神話から名付けられたものである。 小説および映画『』のほか、のホラー小説『』ではカインとアベルが重要なファクターとして登場するなど、この二人の物語を題材にした作品も多い。 カインとアベルは兄弟の代名詞でもあり、「運命的な兄弟」を暗示させる言葉として下記作品のタイトルにも使用されている。 - の小説。 - の小説、及びそれを原作とするテレビドラマ。 - ホラー映画。 - 2016年10月〜系「」放送枠の。 類似の神話 [ ] 「カインとアベル」の説話に先行するものとして、シュメール神話の「ドゥムジ()神とエンキムドゥ()神」が存在する。 女神「」の花婿選びにおいて、牧畜神「ドゥムジ(タンムーズ)」と農耕神「エンキムドゥ(エンキドゥ)」の二柱の夫候補がおり、イナンナは美男のエンキムドゥ(エンキドゥ)の方を気に入っていたが、エンキムドゥ(エンキドゥ)は辞退し、花婿の座をドゥムジ(タンムーズ)に譲ってしまう。 こうしてイナンナの夫にドゥムジ(タンムーズ)が選ばれたのである。 出典 [ ] []• 『旧約聖書ものがたり』日本キリスト教団出版局、2012年、19頁。 デイヴィッド・ゴールドスタイン 『ユダヤの神話・伝説』 秦剛平訳 青土社 2014年 第4刷 pp. 91-92. フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌1 旧約時代編[I][II][III][IV]』株式会社筑摩書房、1999年、、P41・45。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

次の

「カインとアベル」、弟殺しカインの額の烙印が意味するものは

カイン の 刻印

ときは楽園追放の直後。 「光あれ」にはじまる7日間の天地創造の最後に創られた人間の男女・アダムとイブでしたが、楽園・エデンの園の知恵の実を蛇にそそのかされて食べてしまいます。 これに怒った父なる神ヤハウェ(YHWH、エホバとも呼ばれる)は2人を楽園から追放すると同時に「産めよ増えよ」と祝福したのでした。 これが「創世記」第3章までの流れです。 カインとアベルの物語は「創世記」第4章に記されたお話。 エデンの園の知恵の実を食べた後のアダムとイブの間に最初にできた子どもたちです(知恵の実を食したことは、性的快楽を知ったという暗喩であると言われています)。 兄のカインは「土を耕す者」(耕作民)に、弟のアベルは「羊を飼う者」(牧畜民)となり、それぞれ仕事に励みました。 やがて2人は各々の仕事の成果を父なる神に供え物をします。 これが争いのもととなるのです。 カインは農作物、アベルは群れの初子(ういご、つがいの間にはじめて産まれた家畜のこと)と肥えた家畜を供え物として、神の前に捧げます。 しかし カインの供え物は神に顧みられず、アベルの家畜のみが喜ばれたのでした。 憤り、顔を伏せるカイン。 すると神は彼に言いました。 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。 もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。 それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。 【引用元:】 この不可解な神の言葉の後、カインは弟アベルを野原へと誘いだすのです。 2人の兄弟は野原へと向かいました。 ふいに カインはアベルに飛びかかり、弟を殺してしまいます(多くの宗教画では棍棒で殴り殺していますが、聖書にはどのように殺害したのかの詳細な記述はありません)。 大地に流れるアベルの血。 そこに神があらわれます。 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。 カインは答えた、「知りません。 わたしが弟の番人でしょうか」 【引用元:】 このやりとりが、 人類最初の「嘘」だと言われています。 しかし、大地に流れたアベルの血が兄カインの罪を神に叫んでおり、カインの嘘は全能の神に見破られました。 カインは弟の血でけがした大地に呪われたため、かつてのように畑を耕しても作物が実を結ばなくなってしまいます。 さらに神は彼に「しるし」をつけて誰もこの殺人者を殺せないようにしてしまいました。 地上の放浪者として去るカイン。 のちにノド(流離い、の意)の地へたどり着き、妻を得てエノクという息子をもうけることに。 息子と同じ名のエノクという町を作るにいたります。 一方でアダムとイブは2人のあとにセツ(セト)という息子をあらたに設けるのでした。 いえ何度読んでも、謎として引っかかる部分があります。 それは「なぜカインの供え物が否とされ、アベルのものだけが良しとされたのか」。 これについては「農耕民よりも遊牧民のほうが勝っているという逸話」という解釈もありますが、注目したいのは先にも挙げた、聖書のこの一節です。 そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。 もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。 それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。 【引用元:】 カインは(当然の人情ですが)自分の労働の成果を無視した 神の裁定に憤り、神の判断に対して異議を唱えるかのように「顔を伏せる」というジェスチャーをとります。 そのこと自体も神は叱責するのです。 この 「神に対する怒り」は「反抗」。 言い方を変えると、自由意志の発露です。 神に対するとき、自分の感情や意志は罪。 この「自由意志は罪」という概念は、アダムとイブの失楽園からはじまり、聖書を最初から最後までつらぬいています。 旧約聖書・新約聖書を通しで読むと、父なる神ヤハウェには1つの特徴があることに気づきます。 それは 「絶対服従する人間には優しく、自由意志をもって逆らう者には厳しい」ということです。 その代表格が、 ユダヤ民族の太祖・アブラハムとイサクの逸話。 アブラハムは年取ってからようやく生まれた息子・イサクを殺し、焼き尽くす捧げ物として供えるように、神から言われます。 アブラハムは人気のないところへイサクを連れていき、 本当に神のために息子を殺そうとするのです。 その信仰の強さを確認した神は天使をつかわし、アブラハムにイサクの殺害をやめさせ、子孫の繁栄と栄光を約束するというこのエピソード。 無茶振りですね。 エジプトに戻りたいとブーブー文句を言うユダヤ民族の同朋を引き連れて、神の託宣のままに40年も中東をさまよったモーセや、神の子イエス・キリストも父なる神の「無茶振り」に振りまわされた一生でした。 うわ、やだなあ。 と思うのが人情ですが、神さまの尺度と人間の定規は違うのでしょうね。

次の

ル・カイン

カイン の 刻印

カインの印は、本来罪を犯したものや反逆者に対する呪いの烙印としてではなく、神がカインを守るためにつけられた印であり、カインという人物が罪を犯しながらもむしろアダムよりも見守られていた(愛されていた)証でもある。 この解釈に出会ったのは、僕がヘルマン・ヘッセの小説『デミアン』を読んでいた頃が初めてだったと想う。 その中で、デミアンは一般に流布しているカインとアベルの物語で解釈されている兄弟殺しの罪を背負うだけのカイン像とは全く異なる解釈を主人公シンクレールに披露している。 事実、聖書を注意深く読んでみれば、カインの印は、神の庇護としてのそれであり、罪を認めたカインを追放することはするが、守りの刻印を渡すところに主の慈愛が説かれているのだ…とする解釈は一般的である。 神の慈愛なのかどうかは、ここでは留保する。 むしろ、カインの印は、その他の箇所において、その後罪人の代名詞として表現され、不名誉な烙印として意味を帯びてくる。 そして所謂一般的には、そちらの意味のほうが流布しているのだと思う。 カインへの想い入れは、デミアンが初めてではない。 むしろ古いルーツがあった。 こうしたカインを巡る解釈は「表向き」のそれと違い、実に深い示唆が含まれており、2世紀頃に「カイン派」と呼ばれる宗派が存在していた事に由来する。 カイン派の過激な解釈を巡って、異端の烙印が押されるのも早かった。 しかし、そもそも自分達の祖を何とするかで、カイン派やセト派と分かれていった事は自然の流れだろう。 問題は、カイン派の人たちは公に自分達がカイン派であることを言えなくなっていた…という実情だろう。 そして秘かに…カインのもの同士は印によってお互いを識別するのだという。 こうした密やかな…隠れ潜むような信仰生活… それでいて確固たる信仰の基盤が、世界との不調和を感じさせながらも…彼らを頑なに続けさせる。 そして我々人類はカインの末裔なのだ…という解釈もあるが、これは広義に解釈し過ぎだろう… しかし、原罪説を採用すれば、最もな話といえる。 史実としては消滅したと言われるカイン派…彼らはどこに消えたのだろうか。 一時、魔女狩りのごとく、僕達は追われた。 現世に戻ったものの多くが、隠れて生きる…そして自分達のルーツを忘れる。 また反対に、自らの意志で残ったもの、残された者たちも多くいる… 大きな亀裂が外側にも内側にも生じては切り裂いていた。 友人をなくし、親をなくし、家族をなくし、恋人をなくし、恩師をなくし、卑屈になり、自らを蔑む… 罪を犯したものは当然だろう… それでも決して神を否定はせず、そのような境遇こそ試練と受け止める。 そんな生き方が、かつてあり、それは今の世にもあるのだ。 Eili...

次の