小野悦男。 首都圏女性連続殺人事件

小野悦男『でっちあげ―首都圏連続女性殺人事件』を読む

小野悦男

概要 [ ] 1968年から1974年にかけて、、、の首都圏で多発した連続女性暴行殺人事件。 事件内容は1人暮らしの女性が深夜、された上で殺害されるというものであった。 の大半は20代で、現場に残されていたとされるはO型の事件が多く、殺害方法は暴行焼殺9件に暴行穴埋め2件と手口に類似点があったため、同一犯によるものという見方が強かった。 、(現)生まれの元作業員、(当時37歳)が容疑でにされ、連続焼殺事件への関与を追及された。 小野は窃盗・・・・常習累犯窃盗などによる8回のと合計13年間の服役歴を持ち 、その中に専門のが数回あること。 小野は数年前、東京都内のアパートに侵入し、寝ている女性を強姦しようとした過去があること。 連続殺人放火犯の血液型はO型または非分泌型と断定されたが、小野の血液型もO型であること。 松戸や綾瀬で起きた連続殺人放火事件の現場付近の地理に小野が明るいこと。 小野はアリバイが明らかでなく、連続殺人放火事件後、親類や知人宅を転々としていること。 同事件の犯人は現場に侵入するときハシゴを使っていたが、小野も職業柄ハシゴの扱いに慣れていると見られること。 など、他の事件でも小野と結びつくがあったため、が小野を首都圏女性連続殺人事件のに擬してした。 新聞各紙には「ウソの天才、捕われの人生()」、「盗癖、平然とウソ()」、「実直さの裏に悪魔の顔()」、「愚直な男、ではプロ()」などの見出しが躍った。 獄中の小野が同房者に「俺のは大きいから、1回寝た女はもう忘れられないぞ」と自慢していたことも報じられた。 ただ、の血液型はO型ではない事件もあり、狙われた女性も年代にもばらつきがあるため、首都圏女性連続殺人事件の11件全てを「同一犯によるもの」とまとめることには疑問が残っていた。 実際に葛飾区で発生した1件は、小野とは別の人間が真犯人と判明して解決している。 3月、小野は「殺しは絶対にやっていない」とに助けを求め 、を中心に「小野悦男さん救援会」が組織された。 新聞記者のによると、千葉県警やマスコミはの前例から小野の親類や友人に関係者がいないか徹底的に調べ、被差別部落と無関係であることを確かめてから「クロ説を二人三脚で突っ走った」という。 小野によると、彼は取調室で被害者の死体写真や顔写真や位牌を顔に押しつけられ、香を焚かれて煙責めに遭い、真冬に暖房を止められ、窓を開けられ、髪を引っ張られるなどの違法な取り調べで虚偽の自供に追い込まれたという。 では、の一審判決でとなったものの、の二審判決ではによる自白の強要が問題視され、連続殺人についてはとなった。 小野はただちにされ、のヒーローと呼ばれるようになった。 一連の事件 [ ] 以下の事件は、捜査線上に小野の名が浮上したもの。 1968年7月13日、の空き地で26歳のが暴行の上、焼殺された。 事件の数日後、小野が犯人だと密告が入るも、物証がないため逮捕断念。 1月26日、のアパートで就寝中の22歳のOLが絞殺されて放火。 事件発生2日前に事件現場近くを深夜、を持って歩いていた小野が逮捕された。 同年2月13日、のアパートで放火事件。 22歳の男性と67歳の女性が焼死。 1974年6月25日、在住の30歳のが失踪。 8月10日に同市内の造成地で絞殺体で発見。 同年7月3日、松戸市のOL(19歳女性)が行方不明となり、8月8日、宅地造成地よりが発見された()。 同年7月10日、松戸市内のアパートで21歳のが暴行の上、焼殺された。 現場近くで小野が目撃された。 その後、で立件。 同年7月14日、で48歳の経営の女性と58歳の店員女性が暴行された上、焼殺。 別の真犯人が逮捕されて解決した唯一の事件。 同年7月24日、内のアパートで22歳の店店員女性が暴行されて放火。 の始発電車に小野に似た男性を駅員が目撃。 しかも、7月1日に彼は現場の向かいのアパートに暴行目的で女性の部屋に侵入するも、騒がれて逃走していた。 同年8月6日、足立区内にある42歳の男性宅に侵入して、24歳のOLが暴行された上、焼殺。 小野によく似た男が現場から逃走する姿が目撃されている。 また小野は1年前に会社員宅に侵入していたことが判明。 同年8月9日、埼玉県内のアパートで21歳のOLが暴行の上、焼殺された。 後年のDNA判定の結果、犯人の血液型がA型またはAB型であることが判明する。 また、一連の事件における模倣犯の可能性も指摘されている。 松戸OL殺人事件 [ ] 7月3日、の信金OL(19歳女性)が行方不明となり、8月8日、宅地造成地より遺体が発見された。 首都圏連続女性暴行殺人事件が発生していたが、どれも犯人を確定する物証が乏しく、多くの事件で目撃情報などが寄せられていたの小野悦男(当時38歳)のほかに、数百人の人間がリストアップされていた。 同年7月10日に事件現場の付近で発生した女性暴行未遂事件現場から発見された足跡の一致、信金OLの遺体から検出された犯人の血液型がO型だったことから、小野を犯人と特定、9月12日に窃盗の別件逮捕に踏み切り、殺人容疑で再逮捕する。 逮捕時、マスコミが連続女性暴行殺人事件の犯人であると。 その後、が殺人事件としては松戸事件の1件しかされなくても、連続女性殺人事件の犯人であるかのような報道を続けた。 これが後の冤罪支援運動の火種となる。 逮捕後、物証能力に乏しいと判断した地検はいったん小野を釈放するも、は彼のによって被害者の所有物が発見できたことや、犯人と小野の類似性(血液型や毛髪など)を強調して再逮捕。 1975年3月12日、小野を信金OL殺人で起訴。 この起訴と時を同じくして、冤罪支援運動のためなどの、関係者、らが「小野悦男さん救援会」を結成。 小野のを担当したはなど自白の信用性そのものを突き崩す弁護戦略を行った。 1986年9月4日、松戸支部で無期懲役の判決が下る。 1991年4月23日、で松戸市の殺人事件において、自白に信用性が乏しいと無罪判決を言い渡し、松戸市殺人事件の無罪が確定した。 別件の窃盗罪と婦女暴行で懲役6年判決が出ていたが、日数が参入されたために服役することはなかった。 16年ぶりの釈放であった。 未決拘置期間6068日のうち別件で有罪となった6年を差し引いた3871日を対象として総額約3650万円が小野に支給された。 その後 [ ] 1991年に無罪が確定した小野は代用監獄や自白偏重捜査を批判する冤罪のヒーロー として冤罪被害の集会などで講演をしていたが、1992年に窃盗を働いたため2年間服役した。 出所後の1996年にで41歳女性を殺した殺人犯として逮捕された。 松戸事件とは違い決定的な証拠を警察から突きつけられたため、小野は犯行を認め、1999年に裁判で無期懲役が確定した。 連続女性殺人事件の真相 [ ] 首都圏女性連続事件については、後に1件だけ犯人が逮捕されて解決するも、他の10件は全てを迎えてとなった。 足立区の事件以降、殺人罪で立件された松戸事件を始め、他の事件にも小野が関与したのではないかという疑念が再浮上した。 立件された松戸事件の犯人については、小野の自供によって被害者の遺留品が発見されたため、犯人しか知りえないに該当する。 しかし、それが本当に小野の自白によるものか、それとも警察があらかじめしたものなのか、現在でも意見が分かれている。 なお、足立区の殺人事件が発覚後、松戸事件の小野の弁護人だった野崎は「弁護人としては当時口が裂けても言えなかったが、(松戸事件の)一審の途中から小野を疑い始めていた」 と告白し、所属弁護士会から処分を受けた。 小野自身は足立区首なし殺人事件について犯行を認めて以降も、首都圏女性連続殺人事件には関与していないと無実を主張している。 なお、松戸事件は仮に時効がなかったとしても、の原則により、小野に対して刑事事件で再審理は行うことはできない。 関連書籍 [ ]• 本事件をになぞらえて小野の無実を訴えた。 - ()。 、衆議院法務委員会にて、拘置所における小野悦男への処遇を人権侵害として追及。 女性を標的にした連続殺人犯• (小平義雄):1945年 - 1946年• :1971年• :1975年 - 1989年• (122号事件):1985年 - 1994年• :1996年• :2017年 脚注 [ ]• 小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p. 63(社会評論社、1979年)• 小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p. 62(社会評論社、1979年)• 『現代の眼』1978年8月号「ドキュメント記者の見た繁栄の裏側」• ただし、小野悦男『でっちあげ』p. 54「デッチ上げの共犯者」(中島俊)によると、「『マラ』の話は『朝日』とが、小野さんの元同房者と名のる詐欺師にガセネタをつかまされたものが、そのまま週刊誌に『渡った』ものだ」という。 『殺人百科データファイル』(新人物往来社)• 小野悦男『でっちあげ』p. 小野悦男『でっちあげ』p. 小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p. 58(社会評論社、1979年)• 小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p. 80(社会評論社、1979年)• 2012年10月11日閲覧。 [ ]• 小野悦男『でっちあげ 首都圏連続女性殺人事件』p. 302-304(社会評論社、1979年) 外部リンク [ ]• 2005年12月26日. の2007年5月6日時点におけるアーカイブ。 2013年11月9日閲覧。

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小野悦男が支援者団体により強く支えられていた事に加え、小野悦男は同情を誘う書籍も販売していました。 拷問により自白を強要されたこと、人権を蹂躙された事などを、真実として書き上げた書籍でした。 実際に尋問では辛い思いをした事は真実かもしれません。 しかし、その事により沢山支援者を集める事になってしまい、事件は冤罪へと向かってしまいました。 一審では無期懲役となりましたが、小野悦男はすぐに控訴し、裁判のやり直しを求めます。 支援者団体の輪もどんどん広がっていき、小野悦男は無実だと支援者団体は訴え続けました。 そして、世間の空気まで、小野悦男は無実なのではないかという方向に傾いていったのです。 最終的に、東京高裁での第二審では、警察の自白強要があったとなり、逆転の無罪判決を下されます。 そして小野悦男は16年7ヶ月ぶりに釈放され、社会に出る事になりました。 この際、小野悦男はインタビューで「本当のことが分かってもらえて嬉しいです。 」という内容を語っています。 支援者団体も大いに喜び、「小野さんおめでとう!」と口々に言っていたようですね。 そして、マスコミ各社は今まで小野悦男を犯人扱いしていた事に謝罪の文章を掲載。 逆に小野悦男を冤罪のヒーローとして報道しました。 うかつに行動をとれなかった警察は、被害者女性から採取したDNAを元に捜査を開始しました。 小野悦男のDNAを採取する為に、警察の捜査員は清掃業者に扮して、小野悦男の出したゴミを袋を回収し、唾液のついたものを鑑定に回したりしていたようです。 そんな最中、公園にて5歳の女の子が連れ去られいたずらをしている小野悦男を目撃した人がいました。 この女の子は幸いにも、一命をとりとめます。 そして、小野悦男は女の子に殺人しようとしたということで逮捕。 そこで唾液のDNAを採取し、駐車場の女性の死体から採取したDNAと一致。 流石にDNAが一致しては言い逃れが出来ませんので、小野悦男は犯行を認めました。 その後、小野悦男の自宅の庭から、殺された女性の頭部とノコギリが掘り出され、冷蔵庫からは女性の陰部が出てきます。 最終的に小野悦男は無期懲役の判決を受けます。

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この記事には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 もお読みください。 足立区首なし女性焼殺事件(あだちくくびなしじょせいしょうさつじけん)とは1月に発覚した事件。 過去に殺人事件でされてを勝ち取った男が殺人事件を犯した事件として注目された。 概要 [ ] 、の駐車場で布団に包まれた女性の首なし体が発見された。 女性死体はが切り取られていた。 警察は被害者が41歳女性であり、当時同居していたのが小野悦男だったことをつきとめた。 小野はからに発生したで犯人視され、その内のの1事件でで起訴されに一審でが出たが、にを勝ち取っていた。 その後、小野はや偏重捜査を批判するのヒーロー的存在となっており、刑事裁判の過程で出来た支援団体の存在があった。 そのため警察は慎重にを進め、遺体に付着していた体液と照合しようと、に変装するなどして彼の唾液を採取した。 、小野が5歳の幼女にを加え首を絞めた殺人未遂罪の容疑でされる。 DNA鑑定により、首なし遺体に付着していた体液のDNAと、小野のDNAが一致。 、小野ので、裏庭の地中から首なし遺体と切断面が合致する頭蓋骨と遺体切断に使われた、さらに切り取られた陰部をから発見。 これにより小野が殺害の自供。 供述によると「女性と公園で出会い同居生活を始めたが、の夜、女性が家事をしないことで口論となり、頭をで殴ったところ死亡してしまった。 せめて彼女の実家に骨だけでも返したくて、遺体を焼いたがなかなか骨にならず、頭部だけ持ち帰った」という。 、小野に対してで有罪とし、が確定した。 その他 [ ] この事件では、やなどの数々のがありながら小野が殺人事件で無罪となったことで冤罪のヒーローとして無批判に持ち上げたことは一面的な観点であったと批判が出た。 また、無罪となった松戸事件を始め、その他の首都圏女性連続殺人事件の中にも、小野が関与した事件もあったのではないかという疑念も出た。 関連項目 [ ]•

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